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2012.02.1717:02

祇園★大和橋★白川



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                      祇園白川



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縄手に架かる「大和橋」ですが、普段気にもせず通る。この橋は正式には「大和大路橋」で、「大和橋」は南に下がって泉涌寺あたりにあるそうです。だが正式名称と言ってもそんなの誰も知りませんね。


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橋の脇にこんな説明文があります。その通りなのですが、色々調べたところ・・
1=貞享年間(1684~88年)に京都所司代・内藤大和守重頼により架設とあります。木橋。長さ8間5分といいますからざっと15Mでかなり大きな橋、というより白川が相当川幅があったと言う事ですね。幅は3間と言うから5M強でかなり広い。
2=元禄15年(1702年)修復、同じ規模の同じく木橋。
3=貞保17年(1732年)、地頭・祇園宝寿院により幕府に請い石造りに改築。・・つまり往来が激しく頑丈な石の橋に変えたのでしょう。

この大和橋は、実は公儀橋であり、国=幕府管轄の重要な橋。ここらでは三条大橋と五条大橋がそれで擬宝珠の欄干がその威容さを誇っていた。・・今でも立派な橋で擬宝珠があるのはこの2つだけです。格の違い。

明治の世に入り幕府から京都府の管理となる。その後明治31年京都市の管理に。明治44年白川河川工事で川幅が大幅に縮小され翌年明治45年、石桁。石版橋となる。長さ4軒2分とありますから7M50位。それまでの半分になっていますね。現在の橋に明治45年竣工とありますのでその時の橋を再現したのでしょう。人口増加と琵琶湖疏水の関係上、川幅を狭く川底を深くえぐり、生活の川から流れる流す川へと変貌。

ついでに、新橋と巽橋・・新橋は正徳3年(1713年)、民費で架設とあります。それまでなかったのでしょうね、わざわざ大和橋まで迂回していたのでしょう、祇園の発展と共に訪れる人が急増で、だが幕府の鐘では作ってはくれない。地元民が金を出しあって作ったのです。鴨川に架かる三条及び五条大橋の公儀橋は幕府が責任もって管理していましたが他の橋は同じくすべて個人負担です。だからそこの有力者が実費で架けた場合堂々と通行料を取っていた。有料道路ですね。あ、新橋でした・・最初木橋→石橋。長さ約10M幅3M弱。多分欄干はついていない仮設橋程度だったはずです。かまぼこ板のような橋。・・巽橋は案外と遅く、文政12年(1829年)同じく民費にて木橋を架設。長さ約10M幅2M強。・・こうして見ると、大和橋も新橋も巽橋も長さは10M以上で、かつての白川はかなり大きかったみたいですね。特に大和橋は、この縄手通りがかつての鴨川の土手に当たり、つまり大和橋は白川が鴨川へ落ちる岸辺にあたり川幅も最大。よって15Mの長さ。水量もかなりあったのでしょうね。




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今工事中で新橋は通行止め。
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