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2012.01.2917:05

猿でも何とか分る★アヘン戦争★

清王朝の末期の頃、1840~42年に勃発した英国VS中国の全面戦争ですね。

それまでヨーロッパとの交易は広州の一つの港しか許されておらずしかも広行(コウポン)と呼ばれる清王朝後任の組合を通じてしか許されていなかった。ヨーロッパ商人が住めるのは夷館と呼ばれる広州の一部に限られさらに貿易が許されたのはシーズンの10月~1月まで。シーズンが終わるとポルトガルに居住権が認められたマカオに移らなくてはならなかった。そのシーズンの時でさへ夷館への立ち入りおよび女性同伴も許されなかった。産業革命が進み自国製品を何とか世界に売り込みたい英国は何としてでもこんな閉鎖過ぎる清王朝と対等貿易をと強く望む。

それ以上に、清からの茶葉の輸入が増加の一途を辿り、東寺紙幣なんかない時代唯一の対価として英国保有の銀が大量に清へ流出。輸入超過、貿易大赤字と言う事ですね。危機感を募らせた英国はここであらぬ一作を企てる。植民地化に成功したインド、東インド会社を通じインド産のアヘンを清へ輸出しよう!超高級品のアヘンはみるみる清王朝へ輸出され、なんとピーク時にはアヘン中毒者は1000万人に達したと言います。そしてその対価=銀はみるみる東インド会社→英国へと流出し今度は清王朝が大いに危機感を抱く。

そしてついに時の皇帝・道光帝は林則徐を欽差大臣に任命、広州行きを命ずる。歴史に残る名大臣ですね。・・そして強引なまでのアヘン取締りを強行。ここに両国ついに力VS力という武力行使=戦争に発展。特に清王朝は威信をかけた蛮夷追放の国力を挙げた総力戦。英国も「不名誉な戦争」と猛反対の声も相当ありました。

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戦いは余りに一方的に英国の圧勝に終わる。・・だが英国ではこの戦争に賛否両論大激論となり投票に二より僅差で戦争と決まりました。

この勝利で英国は香港99年間の割譲を得る。また他にも多数の港の開港も勝ち取ります。これ以降ヨーロッパ各国が一気に同様の請求を迫る。そして清王朝は崩壊へと一気に坂道を転げ落ちてしまいます。




高杉晋作
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彼は幕府の船で上海を訪れたのは1862年の事です。アヘン戦争の後、アロー号事件、そして太平天国の乱(乱ンと言っても死者2000万人と言われています)と大混乱末期症状の清へ行ったのです。その上海で見た光景=自国でありながら奴隷同様の仕打ちを目の当たりにした晋作はなんじゃこりゃ!とおったまげたはずです。日本はこうなってはいかん絶対にいけないとその時開眼。のちの尊王攘夷に大きくくさびを打ち込むことになる。

・・尤も晋作が上海へ行ったのは、実はお家事情(毛利藩)からで、居場所がなくなった彼を、密かに幕府が募集した随行員募集に藩代表と推薦したのが桂小五郎でした。

猿にはちょっと難しい。書いてる僕自身訳が分からなくなった、あはは。





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