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2017.10.2015:01

2017年船岡山山頂にて10月19日

10月19日木曜日。この日は信長が初めて京の都へ入洛した日に当たり毎年建勲神社でお祭りが。
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耳をつんざく爆音に震えが止まらなかった。

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鉄砲の実演が終わりお祭りは滞りなく終了。その後テクテク歩いて船岡山の山頂へ。

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平安京造都の時この山頂から下界を眺め即決。・・それ以前より神宿る山と崇められていたようでそれを聞き付け駆け登ったものでしょう。

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新しい都をどこにするか?派遣されたのは藤原小黒麻呂・紀古佐美両名。各地を訪ね歩き、そしてこの頂上から眺めた瞬間ここだ!と躍り上った事でしょう。なおこの両名は後に蝦夷制圧の大任を帯び現地東北へと赴く。そちらの方でも歴史に残る事となる。


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奈良平城京から長岡京へ。長岡(地元では神足)は桓武天皇の故郷です。それがなぜ僅か10年で再び遷都せざるを得なかったのか?表向きは建設総責任者藤原種継が暗殺されたからとか不幸事が重なったからとかになっていますが、実際は、長岡京を流れる川が常に氾濫を起こし都は水浸しの繰り返し。今のような治水工事はな人糞もそのままとどまり疫病が流行ったのが主因と思われます。遷都を建議したのが和気清麻呂で、この人は今で言えば一級建築士。数多く手がけたスペシャリストの彼がこんな都は棄て新たな地をと奏上したのだから桓武天皇もかなり動揺した筈です。
・・なおこの船岡山山頂から眺める8月16日五山送り火の夜景は絶景です。ただし山が崩れるのではと思う程の人で埋め尽くされてしまいます。恐怖です。

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テクテク麓に降り家路につく。延暦年間はちょうどその桓武天皇が遷都を繰り返した激動期に当たります。

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13時23分義経「首途八幡」無意識のうち通過。

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上下)同じ場所。正親小のとこ。
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早い話、平安京の上に聚楽第を建てる。・・実は遥か後の明治新政府の頃、今の平安神宮をどこに作るか喧々諤々。伊藤博文がここがええと言い張るも当時から民家が密集していたらしくボツ!結局片田舎だった現在地へ(聖護院村だった?)。

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その聚楽第跡には当時を偲ばせる町名があちこちに残っています。平安京だけでも掘り返せばすべて遺跡となり各家一軒一軒の玄関に石碑が建ってしまいます。さらに聚楽第を入れてしまえばもう枕を高くしては寝られない、あはは。
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