2017.05.2218:48

近衛家上屋敷(跡)2017年5月17日

5月17日水曜日。明日の18日御霊神社還幸祭を直前に控え各町で飾られる剣鉾探しの途中、思わぬ大発見!
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真昼間12時12分、あてどなく彷徨っていたとある街角、烏丸鞍馬口を一筋西の辻。おおっ!目に菜の花畑の光景が。

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反対横から

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後ろから

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別邸となってますが近衛家上屋敷ですね。今年の3月に石碑が建てられたばかり。こんな所にあったのか。・・実はもう10年程前かな?そっくり同じ文言の駒札が堀川一条戻り橋の東側に立ったことがある。数度見かけある日突然無くなった。郷土史研究家の中村氏ど根性でこちらに違いないと比定したものでしょう。物凄く精力的に活動されてる様で最近あちこちに同じような真新しい石碑が立つように。なお薩長同盟は龍馬の尽力によって成し遂げられたとばかりもてはやされていますがこの小松帯刀と言う傑出した逸材の裏からの活躍も忘れてはいけません。犬猿の薩長がこの固い結束により一気に明治維新へと傾き歴史は大動乱の渦の中へ突入する事となる。歴史的大転換の貴重な場所。

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摂関近衛家、どれほど凄かったかと言えば、かつての九州鹿児島島津藩。この藩は源氏の流れを汲みます。武家社会になり貴族皇族の力が急速に弱まり取って代わりこの武家が天下を動かす様に。・・島津藩の広大な領地(今の鹿児島全域及び熊本宮崎半分)はそれまで長い事この近衛家の所領でありました。つまり乗っ取られた?と言えば怒られる?、あはは。

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上屋敷があるなら当然下屋敷もありました。今の銅駝学区、二条大橋飛び石、旅館石長(木戸孝允終焉地)のとこ。広大な屋敷、かつては通りの上下に門があり庶民が通れるようにと(昼間)開けてくれていたそうです。昔古老に聞いた事がある。また今の飛び石、ここには戦後?辺りまで橋が架かっていた(夷川橋)。地元の古老は記憶にある。この橋も庶民を不憫に思った近衛家がぽいと大枚はたき架けられたものです。鴨川夷川橋で検索すれば僕のブログが、

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ポスター

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堀川第一橋の川底にこんなのが。これもつい最近。あれもこれも歴史的価値ありで、目が点に・・多過ぎ、あはは。
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