2016.12.1418:18

赤穂浪士討ち入り12月14日

12月14日水曜日。今日は赤穂浪士討ち入りの日。
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昨日13日17時過ぎの雨雲。昨日いっぱい降り続いた肌寒い雨も何とか峠を越す。曇りがちですがたまに日差しが差し込む中、チャリは大石内蔵助の足跡をほんの少しだけ追ってみる。
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11時07分チャリは仏光寺辺りをさまよう
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11時20分花見小路角の名亭「一力(亭)」。一見さんお断りの高級料亭、内蔵助はここに足繁く通いつめ飲めや歌えやの思い切りの散財を繰り返している。
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所かわって11時51分、三十三間堂横の法住寺。本日ここで赤穂四十七士の供養が。なぜここで?
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・・時は元禄14年3月14日(西暦1701年4月21日)、江戸城内松の廊下にて赤穂藩主浅野長矩が吉良上野介に切りつける刃傷沙汰発生。この日江戸城では天皇勅使が訪れ将軍と謁見する手筈で、突如の大事件に将軍綱吉は大激怒!浅野内匠頭即切腹を命ず。この元禄年間と言うのは関ヶ原の決戦から百年後で今の戦後70年と非常に似ている。戦争の傷跡など全く知らない平和ボケの時代。江戸年間を通じ最高に文化が興隆した頃、武士も刀の使い方などすっかり忘れ去りお飾りのそんな時代に突如事件が起こったからさあ世間は大騒ぎ。
赤穂藩お取り潰し(全藩士即日懲戒解雇)、無職浪人の身となった赤穂藩士たち、だが殿への忠義は燃え盛り憎っくき吉良の首を何としてでも・・。実際は当初200数十名の藩士たちが血判所に団結も一人減り二人減り最後まで残ったのが四十七士。赤穂を出た内蔵助は密かに京都に潜入、山科に隠逸。先程の一力亭は当時伏見にあり、解雇され気が触れたように装う為連日伏見街道を行き来。途中ここ法住寺へ立ち寄り本尊の不動明王像に願掛けている(身代わり不動として有名)。
写真、境内では討ち入り蕎麦でしょうか?振る舞われていました。法被は討ち入りの出で立ち「入山型のダンダラ模様」」。これに山鹿の太鼓が打ち鳴らされればリアリティー満点、あはは。・・後の新撰組のユニフォームはこれを真似ている。

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近くの方広寺の梵鐘。大晦日108組限定でゴーンと鳴らせます(年々増えすぎお寺さんかなり嫌がってます)。絶対何があっても108組限定です!・・白い線が例のいわくつきの文字。超巨大梵鐘で実質の日本一。
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ポスター
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12時01分鴨川通過
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上下)正面橋に佇むユリカモメ七条軍団。更に冷え込むと更に丸く固まる。
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花見小路行った折の建仁寺の紅葉(有料境内を団栗辻子 から)。
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