2016.05.1722:48

御霊祭三つの剣鉾

5月17日火曜日。明日18日は御霊神社「御霊祭(還幸祭)」。各氏子町内では昔ながら町内自慢の「剣鉾」を飾り付けます。
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御霊神社へ向かい合間合間に訪れた「鉾町」。ここは御所乾御門から直ぐの所。
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「蓬莱鉾」。別名「松鉾」。松はかなり大事にされています。神が宿ると信じられているようです。
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基本どこの神社でも対であります。全く同じところもあれば全く違う所もある。ここは別。二つのうちどちらかが巡行に参加し残りは居祭りとして飾ります。
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歴史を感じさせますね
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明治?年に新調とある。もう今となっては新調どころか古典の世界、あはは。
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棹と言って、長さ7M位の棒、その先端にこの剣鉾を取り付けチリンチリンと鈴を鳴らしながら巡行する。今ではこの棹を切って台車に乗せて進行する神社が殆どです。ここの棹の飾りの凄い事!贅の限り尽くしてますね。
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1470年文明2年。応仁の乱真っ最中。天下泰平を願っての下賜であるのは言うまでもないと思います。・・この古さは並み居る京都の剣鉾の中でも際立つものであり国宝指定を推薦します、あはは。
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続いて「龍鉾」。烏丸今出川交差(南側)から西へ入って直ぐ。
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こんなのどうやって作ったのでしょう?特徴あり過ぎる鉾です。
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ここも同じく対で残っており、それぞれ違う図柄。
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こちらが明日の巡行に参加する鉾。こうやって剣を差し込んで出来上がり。
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こちらは1431年永享3年の御下賜。最初の「蓬莱鉾」よりさらに古い。歴史ある神社でさへその自慢の剣鉾は殆どすべて江戸時代(初期)のものであり、ここ御霊さんの剣鉾は異常とも言える古さ。幾たびの戦火及び大火にも耐え抜いた奇跡とも言える現存です。しかも現役バリバリで明日の巡行に参加。もはや思考回路が廻らなくなる。
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そして最後真打の登場。一昨日の「葵祭」でごった返した出町橋。西詰の妙音弁財天さんが舞台。
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昨年ここの鉾を初めて知り駆け付けたが1日違いで後の祭りでした。2年越しの執念実る!あはは。
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写真ではその存在感が伝わりませんが、これは凄い!マジ腰が引けしばし立ち尽くす。馬鹿でかい!
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ここも二つ対でちゃんと残っている。飾るのは御霊祭前日の本日17日のみ。何が何でもとの意気込みで駆けつける。
この太刀(剣)も本物でしょうね、触ると手が切れてしまう。
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人形
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かなり怖い顔した龍
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この古さを見てください!京都に残るすべての剣鉾の中で極端ぶっちぎりの古さ!考えられない古さです。良くぞ残ったもんです。
1294年永仁2年。気になりちょっと調べたところ、矢張りと言うか、あの元寇二度にわたる襲来(文永及び弘安の役)、二度目の弘安の役で大敗北を喫した元ですが皇帝フビライはそれでも諦めきれず3度目の総攻撃を計画。そしてその後も幾度となく使節団を派遣する。使節とは聞こえは良いが要するに屈服せよと脅迫。フビライが没したのが奇しくもこの1294年でした。それを知って知らでか、時の天皇が天下は我にありと奮起一発、この剣鉾を天下に見せつけたのでしょう。他の剣鉾に比べ頗る巨体で見るからに権力の象徴です。元はフビライ没した後もなお執拗に使節団を寄こしています。1299年に13回目の使節団が訪れこれが最後となる。
ちょっと話はずれますが、実は日本としても防戦一方ではいかんとばかり、弘安の役後逆に日本から元へ総攻撃を計画、全国武士に非常召集を掛けています。このことはなぜか一切隠されたままです。案外とこの伏見天皇が天下の大号令を発したのかもしれません。謎のままです。
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