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2012.07.0314:01

◎禁門の変◎に散った青春

昨年9月29日のブログです。全く見向きもされなかった、とほほ。

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御所「堺町御門」です。「蛤御門の変」として有名ですが、こちらの門を巡っても相当な殺戮戦が繰り広げられています。だから「禁門の変」の方が全体像を表していると思いますね。


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駒札には前年における「8:18政変」の事しか書かれておりません。この門は今も天皇皇后両陛下がご帰郷の折通る門であり余りよろしくない過去の出来事は封印したいのでありましょうか?だが、柱に銃痕のあと??が。どう見ても人間が作った傷ではない、蛤門と同じような感じ。実は某お寺さんの門に応仁の乱の時の矢じりの後がかなりはっきり残っていて、それを思うとまだ150年前の鉄砲玉の後は確実にそのままの形で残っている筈。よってこの傷痕はその時「禁門の変」の大殺戮戦の時の物と断定(勝手に)!


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この門入ってすぐ右に「鷹司邸」があり、直ぐ左手が「九条邸」。どちらも摂関家であり重要な家柄。長州藩・久坂隊はこの門を激戦の上突破、鷹司公になんとか藩の潔白を示そうと懇願するも足蹴にされ、久坂無念の自害。さらに九条邸に陣取った会津藩が大砲による猛爆で鷹司邸は火の海に。・・現在九条の宮家はご覧のように大きな池と橋と茶室が残っており観光客が珍しそうに覗き込んでおりますが、一方の鷹司の宮家はこの大乱で焼失後再建された形跡はなく、現在空しく木々が生い茂るのみの無残な姿。







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寺町通りを北に北に・・突き進みドン突きがこの上善寺。地元では有名なお寺さん。お盆の六地蔵参りの時ここで「小山郷六斉念仏」が奉納されます。めっちゃ多いですよ。でも余りに遠いため過去一度見たきり。

さていよいよ本題です。なぜこんな御所からかなりかけ離れたこの寺に入江久一は葬られているのか?まるで謎解きですが、これはかなり専門家でないと知らないと思います。そして、どんな本や資料にも先ず載っていない秘話を本邦初公開です。



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正四位とはあり得ないような官位です。足軽の子ごときが絶対にもらえるはずのない雲の上の位。これは久坂玄随と同じ位です。当時からかなり有名だったのでしょう。それはそうとこの石碑、よく見てください。

入江九一他七名の首塚とあります。そう!首塚なのです。入江は「鷹司邸」で無念の最期を遂げる久坂に「何とか入洛直前の毛利の殿様にこの現状を伝え思いとどまるように」と入江に託し自害。何とか脱出をを試みる入江に容赦ない鉄砲の嵐。多分「堺町御門」で倒れたと思います。自刃して果てたと言うことになっていますが、即死状態ではなかったのでしょうか?・・なんたってその時は天皇に刃を向けた逆族なんです。助けるわけがありませんし助かるわけがありません。それ以上に武士らしく見事な最期を遂げたかったのでしょう。



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長州人首塚と実にそっけない。

実は、この上善寺はあの越前福井藩・松平春嶽の菩提寺なのであります。
これで殆ど謎が解けたと思います。そう、「堺町御門」の大激突で勝鬨を上げた御所防衛軍のここの門番の福井藩士が倒れた敵兵の首を刈り取り悠々このお寺へ戦利品として持ち込んだのです。基本自分が手柄を上げたと気勢を上げ後の論功行賞を・・、戦国時代と同じ考え。こうして手当たり次第七名の若き長州藩士の首が・・。

だが、さすがのお寺さんもいくら菩提寺とは言え亡骸を弔うのが仕事。いくら敵兵と言えどもみな若き青年たち。余りに気の毒であると懇ろに供養したのがこのお墓です。

余りにもはかない、京の都に散った青春。
入江九一享年28歳。松陰門下生四天王と謳われた逸材でした。







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左)首塚真横にあります。ここも配列はかなり目茶苦茶。 右)境内で発見。かわいいおべべ着て、まるで赤ん坊のようですね。
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