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2012.06.0214:30

◎6/2日風雲児・信長の命日◎

今日は信長の命日。昨年9月28日に作ったブログをちょっと変形させて再び・・


忠実な子分秀吉に命じた「中国攻め」。秀吉なら必ずやり遂げる筈と胡坐をかいて吉報を待つ戦国の風雲児・信長のもとに届いた至急電は、なんとSOS。なんじゃああこりゃあ!!怒り心頭、血が昇った風雲児、んじゃ俺様が直々に出陣してやる!
・・と安土城から僅かな手勢のみで出発。途中京の都で宿泊したのが運命の「本能寺」。

阿弥陀寺
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寺町通りをずっと北進するとあります。寺町通りとはその名の通り沿線はずらりとお寺さん、その数80だったか?100だったか?・・これは後に秀吉か天下を治め京の都を国家プロジェクトによる大改造を行った際この通りをお寺で埋め尽くさせました。また今日ある京都の街のインフラはこの時の基本設計と殆ど変わっていません。俗に「短冊作り」と言われるドン突きばかりの路地がいたるところに見受けられます。


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本堂裏手。右)拡大すると天正と見えます。

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そのお墓の中、左奥にあります。

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正面から見た信長のお墓。

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天正の文字が読み取れます。信長、その嫡男・信忠のお墓。実はとてもちっちゃい。50cm程の大きさです。数年ぶりに来てみましたが前は何とか信長と言う文字が読み取れましたが風化・劣化がかなり進んでいるようで殆ど全く読み取れない。果たして信長のお墓は右だったか左だったか?右下の少し低い位置にあるのが信長公の嫁さん(側室だったか?)の墓ですね確か。


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これは間違いなくその当時のお墓です。すべての墓石に天正の文字が読み取れます。ただ本当に信長が信忠が眠っているのかと言えば?を付けざるを得ませんが、この寺の開祖がかなり相当信長に気に入られなにかとかわいがられていたようで、お寺ももとは近江国坂本にあったのが信長入洛の際京の今出川大宮の地に栄転?で、その広さは八町四方の規模(約900m四方)もの広大な寺域の中に13もの塔頭を持つ大寺院だった。今も阿弥陀寺町の町名が残っている。


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左脇に本能寺で最後まで付き従った森蘭丸・坊丸・力丸三兄弟の墓。まだ少年でしたね。哀れ。


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一番奥にある、本能寺で主君の為最後まで果敢に戦い見事討ち死に100余名合同のお墓。


「本能寺の変」が起きた1582(天正10)年6月2日払暁、変事の報に接した清玉上人は、20名ほどの僧侶を引き連れて本能寺へと駆けつけました。しかし、時すでに遅く、到着した頃には本能寺は炎上、織田信長公も紅蓮の炎の中で自刃して果てていました。一説によると、この時清玉上人は、明智勢が固める表門を避けて裏の生垣より境内に潜入。織田信長公の遺骸をいち早く発見し、堂宇を包む炎で火葬に臥したのち遺骨を阿弥陀寺へと持ち帰って供養したといわれています。ただ、寺院内は攻め寄せた13,000名あまりの明智勢で充満しており、血眼になって織田信長公の遺骸を捜索する彼らを出し抜くのは非常に困難だったと考えられるため、実際に織田信長公の遺骸と二条御所で自刃した織田信忠公の遺骸を発見出来たかどうかは定かではありません。


その後、織田信長公の遺骨が阿弥陀寺に存在するという話を耳にした羽柴秀吉公が、再三に渡って遺骨を引き渡すよう申し入れて来ましたが、遺骨を利用して後継者争いで有利な立場に立とうとする羽柴秀吉公の思惑を嫌った清玉上人は、主家を乗っ取ることは「人の道にあらず」と、この申し出を一貫して拒絶し続けました。遺骨を手に入れることで追悼供養の主導権を握り、跡目を継ぐに足る者は自分であると天下に知らしめようとした羽柴秀吉公の当初の目論みは外れ、結局大徳寺で行った追善供養の際には、遺骨の代わりに織田信長公の木像を作って棺に納めるという演出で乗り切りはしましたが、羽柴秀吉公の心中穏やかならざる事は容易に想像できます。その証拠に、天下人となった豊臣秀吉公は、寺領の大半を没収するという処分を下し、さらには1587(天正15)年、都市計画に沿って「寺町」と呼ばれる現在の地に強制的に移転させるなど、阿弥陀寺に対して牙を剥き続けました。

・・誠に勝手ながら人様のブログ記事を拝借させて頂きました。有難うございます。この秀吉の要求は初めて知った。そんなことがあったんだ。それで道理がいく、こんな大宮という西にあるお寺をなぜわざわざ東の端の寺町通り(東京極といわれる平安京最東の通り)へ移転させたのか、秀吉は天下人となって一気に大阪城、伏見城、豊国廟、聚楽第と国家プロジェクトを立ち上げ殆ど同時進行に発令しています、その大改革の憂き目にあった多くの住人お寺は移転を余儀なくされています。今日でもその混乱期の移転したままお寺さんは生き残っている。

あ、秀吉の話になってしまった。信長と言えば南蛮寺ですがその跡地(マンション)の片隅に石碑が立つのみ。そこにあった珍しい型の梵鐘がいま妙心寺に大事に保管されています、一度は本物を見てみたいが公開日が一体いつなのか?
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