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2013.02.2301:18

◎京都太秦・広隆寺あたり◎

2月22日は聖徳太子が亡くなった日。何かあるのかと・
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嵐電が行き交う三条通り。

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うずまさ聖徳皇太子殿。広隆寺です。・・はるばるとここまでやって来ました。

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何もなかった。家に帰ってあれこれ調べたら、ここ広隆寺では3月22日に法要が営まれるとの事、とほほ。梅と彼岸桜が静かに咲いていました。

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講堂。かつてはかなりのお坊さんたちがここに集っていたことでしょう。

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境内外、三条通りの喧騒が嘘のような静けさの境内でした。

広隆寺前から始まる商店街を・・
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商店街真ん中辺りにちっちゃな神社。八幡宮らしい。牧野省三の顕彰碑。日本映画の父ですね。

更に商店街を進み・・
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終点の帷子の辻手前から左に折れ入り組んだ路地をクネクネ進むとこの蛇塚。説明の通り実際は巨大な前方後円墳ですが、住宅開発が進み今や頭の一部のみが辛うじて残っているに過ぎない。ここらはかつては一面野っ原で。その前は一面孟宗竹だらけだった。それを開墾したと言う事です。住宅に隠れてしまい探すのが大変ですよ。この墳墓は一説には秦河勝のものと比定する向きもありますが?河勝と言えば無論聖徳太子、広隆寺でそのイメージからか?だが長い歴史の中でその時代その時代の首領はいたはず。双ヶ岡の遺跡もすべて秦一族のものですがいつの時代のものなのか?

蚕ノ社
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木嶋神社よりやはり蚕ノ社の方が知名度がありますね。

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有名な「三本鳥居」ですが、あれやこれや難しい訳の分からん難解すぎる解釈でもってこの鳥居を不可解すぎると専門家は見ているようですが、何度も言いますが、単純に、ここは元「糺の森」でここの小川はかなり段差があり流れが急だったみたいです。その小川の中に立つこの鳥居、洪水の時流されては大変、三本足ならかなり丈夫で先ず大丈夫、ただそれだけの理由と思います。

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この木嶋神社=蚕ノ社も秦族の代表的な社であり、桑蚕の技術をもたらし絹織物の一大生産地として興隆した筈です。
和を以て貴しとなす。この言葉で始まる「十七条の憲法」を始めあらゆる政治経済外交に八面六臂の大活躍だった聖徳太子。今風で言えばあの明治維新を一人で切り盛りし一人で成し遂げ一人で近代国家へと導いた、そんな感じがします。偉大な人物でした。
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