2011.09.3018:47

秀吉・幻の★龍臥城★

京都の繁華街、東洞院・仏光寺。仏光寺通りを行くと直ぐ小学校と仏光寺の建物が。この地に移転してからこの鳥名が。
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仏光寺です。佛光寺が本当らしい。本山だけあってずっしりとした構えです。貫禄がありますね。

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今は洛央小学校。かなり人気のある小学校です。京都は土地が余りに狭すぎて、この小学校、プールが4階だったか?校舎内にあります。これを真似たのか?今こういうのが流行り。ここは20年くらい前少子化の為統廃合されこの名前で再出発です。それまでは豊園小学校でした。歴史通の人には、あれ?なんか聞いたことがあるような名前。そう、江戸年間、洛中の名水として知れ渡っていた「豊園水」が名の由来。この写真の井戸がそうです。今は表の仏光寺通りにありますが以前(と言ってもかなり昔)は学校の中にありました。つい5年くらい前?だったかな、新たにここらでボーリング実施したら水が出てきてそしてこの井戸が。・・実はこの井戸、写真学校校門の真上にソーラー発電がありそれで組み上げています。

この「豊園水」、名前でピンときますよね、そうかの豊臣秀吉がかつてここに居たのです。
その建物こそが「龍臥城」。

これは、天下人となった天正15年(1587)豊臣秀吉は聚楽第を造り直後にこの別邸を作っています。だが仏光寺の資料には、天正14年(1586年)に豊臣秀吉の懇請により、寺基を五条坊門の龍臥城(現在地)に移す。「仏光寺通」という通りの名前にもなっている。

多分間違いなく仏光寺の資料の方が正確なはず。この頃秀吉は殆ど同時期に国家プロジェクトとして大阪城、伏見城、方広寺の大仏、そして聚楽第・・と、そしてこの仏光寺はその方広寺(今もあります)の地にあったのを秀吉がこの別邸・龍臥城の土地と交換を命じ、今日に至っています。仏光寺の精密な移転時の測量などが残っています。

方広寺建設着工が天正14年(1586年)、つまり、どう考えても仏光寺の資料の通り、この年に現在地に移転しています。聚楽第建設着工も同じ年です。天下に秀吉の名を知れ渡らせたかったのでしょうね。そしてこの幻の「龍臥城」、一体どんな姿をしていたのでしょうか?全く何一つ残っていないようです。ただ断片的に発掘で瓦が出てきたとかその程度。聚楽第同様まさに幻です。・・あんがいこの時解体されたもろもろの門とか建物とか、知らず知らず名を変えて今あるどこかの何々門であったとかどこどこの遺構であるとか、興味は尽きません。

この小学校内にその井戸があると言う事は無論ですが現在の仏光寺通りをまたいでそこまでが敷地だったと言う事で、かなり広い邸宅だったようです。秀吉好みの豪快な入口門、見上げるような玄関、広々とした表間、・・屋根には燦然と輝き金をふんだんに使ったまばゆいばかりの桐の紋。・・幻、幻、まさに幻。








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全く関係のない一枚。北野天満宮「ずいき祭」、御前三条にあります。ここまで神輿が繰り出します、相当だだっ広い巡行コース。担ぐ人は大変です。頑張ってください。・・昔は、なんと御所となりにある道真公ゆかりの
菅原院天満宮にまで神輿が繰り出していたそうです。それはこの地こそが道真生誕の地であるからに他ならないからであります(そっと、・・・秘密に)。
・・神輿の巡行日は4日でした。訂正。
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