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2018.11.1719:01

智積院紅葉染まり5分11月17日

11月17日土曜日。今日は良く冷え込み良く上昇しました。06:10分7.4℃(この秋最低を更新)から15:07分18.1℃とセーター1枚での外出。
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10時47分智積院到着
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上下)金堂をバックに
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上下)同じ場所でもこうも違う?
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梵鐘と紅葉

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智積院紅葉、染まり5分としましたが、見頃直前と言って良い。今日は土曜とあって若い女性旅行者が結構紛れ込んでいてあちこちで黄色い歓声が。どこがどこだか分かっていないようです、あはは?
智積院は無料です。でも感謝の気持ちだけはお忘れなきよう。・・矢張り23日勤労感謝の日辺りからの見頃となりそうです。天気が良いと俄然写りが違いますね。甲羅干しを兼ねかなりうろつく。

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チャリは引き返す。11時34分正面橋。ユリカモメは今日もいない。何が原因か、大体分かっていますが日を改めて。だが来ない事はない。標準飛来日11月3日からもう2週間過ぎ今だ現れないとは、前代未聞の珍事です。過去に例のない有り得ない異常事態は続く。

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清水寺。土日祝は東山五条坂から侵入できません。激込み。嵐山は更に規制が厳しいのでマイカーは必ず街中の駐車場へ。パトーカーがうろうろしつこく何度も徘徊してますよ。

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11時38分五条大橋まで戻り、空は今にも降り出しそうな雲行きに、チャリは急遽帰宅する事に。

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11時40分チャリに乗ったまま瞬撮。これを限りに以降3時間以上曇る事に。
今日は以上です。
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2017.12.1521:27

天才か★炎の画家ゴッホ★狂人か

日本の浮世絵に多大な影響を受け余りに有名な名作を残した孤高の天才画家。


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ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ。

殆ど独学で学んだと言う絵画。20代後半で画家を目指したと言います。憧れのパリ、世界中から絵描きが集まる街、だが水が合わなかったのか?友人のゴーギャンと一緒にアルルに移り住む。だが天才同志の絵に関する考えはかなり違っいて口論の日々。或る日、ついにゴーギャンは頭に来て「おれはアルルから離れる」と言い放ち街角へ飛び出る。後を追うようにゴッホが、手に持った剃刀で飛びかかって来た。睨みつけるゴーギャン。ハッと我に返ったゴッホはうなだれ失意のうちに我が家へと戻る。

帰り着き鏡をにらむゴッホ。そして手に握りしめていた剃刀でなんと我が左耳をそぎ落としてしまった!その耳は封筒に納められ娼婦(愛人)へ送り届けられた。翌日発見され病院で二か月の治療、その間に有名な耳に包帯を巻いた自画像を描く。



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ところが、アルル市民がゴッホの退院を認めぬよう請願。それを知ったゴッホは翌年自ら隣町の精神病院へ入る。この頃に代表作を作ったと言う事です。




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その後パリ近郊オーヴェールと言う町に移りここで毎朝のように太陽の下に出かけてはカンパスに向かった。この二か月間で70点の絵を描く。

1890年7月27日、最後の絵となった「カラスのいる麦畑」を描き終える。その直後、近くの農場でピストル自殺を図り二日後の7月29日亡くなる。

彼が活動したのは僅か2年半、その間に340点の作品を描いた。驚異のペースですね。だが、彼の生前に売れたのはたったの一枚。死の3か月前友人の妹が400フランで買ってくれた「アルルの赤いブドウ畑」のみだったと言います。





@2011年12月20日18時に作った全く見向きもされなかったブログです。本日2015年2月9日インターネットニュースに・・ 
仏画家、ポール・ゴーギャン(1848-1903年)の絵画が8日までに競売に掛けられ、絵画史上最高額の3億ドル(約360億円)で落札された。 英BBCが伝えた。落札者は、中東カタールの美術館との報道もある。これまでの最高値は、カタールの収集家が2011年に落札した仏画家、ポール・セザンヌ(1839-1906年)の「カード遊びをする人々」の2億4000万ドルだった。
gauguin_ipoipo00[1]
「Nafea Faa Ipoipo(いつ結婚するの)」(1892)



本日は真冬日。京都市内も昼間で2℃。粉雪が舞っています。
2015年2月9日記。
2017.09.0919:18

2017年上賀茂神社烏相撲9月9日

9月9日土曜日菊の節句重陽の節句。日本人は奇数が好きですね。元旦・桃の節句・端午の節句・七夕そして菊の節句。偶数日は全くないから不思議だ。
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足が3本ある八咫烏。歩き方はかなりすばしっこい筈だ。
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慌てに慌て家を出たのは10時15分、今年も駄目か、着いたのは11時ちょうど。
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下鴨神社とはかなり趣の違うだだっ広い境内。神社創建以来殆ど変わっていないようなド田舎の風景(だからこそ逆に極めて貴重価値あり)。
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境内片隅
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二の鳥居。神馬(神山号)。今日は人参が仰山もらえると張り切る。
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5月5日くらべ馬の練習用と説明書き
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ここも萩は全く咲いていない。例年かなり咲き乱れている。
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馬型のおみくじ
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今日は19℃から33℃まで跳ね上がる。木陰で待機。
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11時ちょうど(この瞬間駆け付け到着です)、斎王代が現れました。
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長い説明の後子供相撲の前にこの世にも奇妙な儀式。左右から交互にピョンピョンと飛び跳ねて中央へ。先ずは斎王代(天皇代理)に弓矢を差し出す。お二方は禰宜と祝と言って社家の最高峰です。
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同じくピョンピョンピョンと中央へ。今度は刀を差し出す。
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同じ所作で今度は丸い御座を手に・・
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それに座り込み、交互に「こーこーこー♪「かーかーかー♪」。烏の鳴き真似。これを数回繰り返す。
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何度見てもいくら眺めても謎は深まるばかり。アナウンスでは邪気を払うともっともな説明ですが、
歴史通ならピンと来る筈です、鴨族の防衛の要たる武器すべてを天皇に差し出す。これは絶対服従を意味する。
色眼鏡的見地から言えば、これは隼人の犬鳴きに匹敵する屈辱?
実は賀茂社が上下に別けられたのは673年2月27日天武天皇が飛鳥浄御原宮で即位直後みたいです(675年だったか?)。
663 年10月白村江の戦いで敗れた日本は急遽防御を固め時の天智天皇は都を近江の大津に移してまで万が一に備える。天智没後有名な壬申の乱勃発。勝った大海人 皇子(後の天武天皇)は、地方豪族を味方に付けて反旗をひるがえしたものである。そう教わりますが、天智の後継者大友 皇子も西国を中心にかなりな豪族を味方に付けている。勝敗を決したのはその数となってますが、大友皇子は無き父(天智)の敵討ちとばかり再度半島出兵の大号令を発している。疲弊しきっている国内をこれ以上混乱させてはいけない。為に大海人 皇子が反旗を翻したのではとみています。
その大友皇子方へ付いたのがこの鴨族ではなかったのか?とかなりな邪推。この推理の線上だとすべてに合点ゆき納得できる。
「烏相撲」。今年もそんな好奇心の眼差しで見つめました。独断と偏見の推理ゆえどうぞお許しを。
2017.05.2218:48

近衛家上屋敷(跡)2017年5月17日

5月17日水曜日。明日の18日御霊神社還幸祭を直前に控え各町で飾られる剣鉾探しの途中、思わぬ大発見!
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真昼間12時12分、あてどなく彷徨っていたとある街角、烏丸鞍馬口を一筋西の辻。おおっ!目に菜の花畑の光景が。

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反対横から

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後ろから

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別邸となってますが近衛家上屋敷ですね。今年の3月に石碑が建てられたばかり。こんな所にあったのか。・・実はもう10年程前かな?そっくり同じ文言の駒札が堀川一条戻り橋の東側に立ったことがある。数度見かけある日突然無くなった。郷土史研究家の中村氏ど根性でこちらに違いないと比定したものでしょう。物凄く精力的に活動されてる様で最近あちこちに同じような真新しい石碑が立つように。なお薩長同盟は龍馬の尽力によって成し遂げられたとばかりもてはやされていますがこの小松帯刀と言う傑出した逸材の裏からの活躍も忘れてはいけません。犬猿の薩長がこの固い結束により一気に明治維新へと傾き歴史は大動乱の渦の中へ突入する事となる。歴史的大転換の貴重な場所。

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摂関近衛家、どれほど凄かったかと言えば、かつての九州鹿児島島津藩。この藩は源氏の流れを汲みます。武家社会になり貴族皇族の力が急速に弱まり取って代わりこの武家が天下を動かす様に。・・島津藩の広大な領地(今の鹿児島全域及び熊本宮崎半分)はそれまで長い事この近衛家の所領でありました。つまり乗っ取られた?と言えば怒られる?、あはは。

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上屋敷があるなら当然下屋敷もありました。今の銅駝学区、二条大橋飛び石、旅館石長(木戸孝允終焉地)のとこ。広大な屋敷、かつては通りの上下に門があり庶民が通れるようにと(昼間)開けてくれていたそうです。昔古老に聞いた事がある。また今の飛び石、ここには戦後?辺りまで橋が架かっていた(夷川橋)。地元の古老は記憶にある。この橋も庶民を不憫に思った近衛家がぽいと大枚はたき架けられたものです。鴨川夷川橋で検索すれば僕のブログが、

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ポスター

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堀川第一橋の川底にこんなのが。これもつい最近。あれもこれも歴史的価値ありで、目が点に・・多過ぎ、あはは。
2017.05.0221:45

今宮神社大宮神輿5月2日

5月2日火曜日。今日は朝から眩い青空。10℃→25℃と朝は寒い昼から暑い。最低10℃が続くなんて今年はかなりひんやりだ。夕方今年初めて扇風機回したら寒い寒い、直ぐ切る(昨日大掃除)。
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下京から中京→上京→北区とチャリは一直線の千本の永遠続く緩い坂道をひーひゆうてひたすら漕ぎ続け、そしてついに12時25分目的地今宮神社へ到着。・・余りに遠すぎ!赤の楼門から。

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あぶり餅二軒も暇を持て余してる。うち一軒は西暦1000年(頃)開業。その味が確かだからでしょう、1千年前の旅人も21世紀の旅人も同じく舌鼓を打つ。更に1千年後も同じ光景でしょう。何一つ変わらぬ神社その味。白銀の世界の今宮神社を訪れた水上勉がこのあぶり餅食べた憧憬は今だ頭にこびりついている。僕は彼のエッセイが好きだ。

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お目当ての神輿は明後日の巡行を前に拝殿に静かに横たわる

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大宮神輿。・・こういういわれです。クリック拡大ビッグサイズでご覧ください。

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何となく玉座に似ているような・・

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これもクリック拡大ビッグサイズで。・・国宝級の神輿です。御香宮さんの千姫神輿はありゃ化け物神輿ですが、それより更に古い。

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矢張り五七でなく五三の桐でした。秀吉と言えば五七の桐ですが家紋としては五三のようです。神輿を寄進した1593年と言えば調べてみたところ世継ぎの秀頼が生まれた年。得意の絶頂期の年。晩年の頃ですが、なぜ五七の桐を使わなかったのか?その謎がいまだ解けない。三十三間堂南の塀に唯一現存する生き証人「太閤塀」の瓦は五七の桐。俗に言う太閤桐。天下を極めた筈の男がなぜその象徴である太閤桐を使わなかったのか?・・御香宮さんの千姫神輿は五七の桐です。もっともこちらは秀吉亡き後の秀頼千姫政略結婚祝いで作られた神輿(化け物です)。

「露と落ち露と消えにし我が身かな 浪速のことは夢のまた夢」

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5日の神幸祭コース

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還幸祭のコース。下立売まで下がって来るんですね知らなかった。ここら北野天満と晴明さんとが入り組み訳が分からん。

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楼門に咲くハナミズキが眩しかった。

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生きているるうちが花よ!
秀吉は関東では全く人気がありませんが、こちら関西では同様に家康は全く人気がありません。みな根強い秀吉ファン。
これは源氏平家と同じ。関東では当然源氏、だが西日本では当然平家。厳島神社がすべてを物語っている。
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